石積みは2段構成で、上部にはコンクリートが載せられている。高さは5m程度と思われる。石積みの1段目は60°ほど陸側に傾斜し2段目は陸側にやや傾き、最上部のコンクリートが反り返る構造である。延長は1500mに及ぶ。
【明丑開潮受堤防】
明丑開潮受堤防を西へ進むと樋門がある。末広開東三枚戸樋門、末広開西三枚戸樋門、末広開二枚戸樋門である。想像を覆す樋門の規模に驚く。樋門周辺の石積みは所々湾曲を描く。東と西の三枚戸樋門は名が示すようにそれぞれ3つの流れがある。二枚戸樋門は間近に見ることが可能で、2つの流れがある。
末広開東三枚戸樋門は石造りで、高さは6.7m流路幅は5.8m、西三枚戸樋門は石造り及びコンクリート造りで、高さは6.8m流路幅は6.3m、2枚戸樋門は石造り及びコンクリート造りで、高さは7.3m流路幅は4.6mである(2011年玉名市教育委員会発行「玉名市干拓関連施設調査報告書」より)。
【末広開東三枚戸樋門】
【末広開西三枚戸樋門】
【末広開二枚戸樋門】
単なる石積みにも関わらず、デザインされているかのような場所がある。東と西の樋門の間に緩やかな曲がりを描く石の出っ張りがある。管理用の階段と思われ、樋門の姿を印象付ける。樋門の角の石積みは湾曲を描く。縦のラインも緩やかなカーブを描く。まるで城壁の石積みのようでもある。機能を求めた結果として生まれた姿かもしれない。
西三枚戸樋門は1927年(昭和2年)の水害によって甚大な被害を受けたとされ、修理の状況が写真に残されているらしい。修理の詳細は不明とのこと。大がかりな修繕をされつつも3つの樋門は当時の姿を今に伝えるとされる。
樋門から西へ続く石積みは末広開潮受堤防である。堤防の切れ目から干拓地内に入り樋門を内水側から見る。
【末広開潮受堤防】
末広開西三枚戸樋門の内水は3つの流れを作り樋門を通過していく。間近に見ると、西の樋門の中心部はコンクリート製であることが分かる。明辰川の流れが東西の樋門を通過していく。現在は明辰川の堰としての機能を果たしているようだ。
【末広開西三枚戸樋門の内水側】
【末広開西三枚戸樋門上部】
3つの樋門が造られた当時は海に面していたが昭和の国営干拓事業の結果、建築当時の役割は終えている。役割を終えた堤防は壊され資材は他に転用されることが一般的ともいわれるが、偶然にも残った樋門と堤防は明治期の干拓事業を現代に知らしめる文化財となっている。
旧玉名干拓施設で重要文化財に指定された潮受堤防はほかに2か所ある。明豊開潮受堤防と大豊開潮受堤防である。4基の潮受堤防の総延長は5㎞を超える。施工に要した石などの資材量と人々を思うと、壮大な事業であったことが想像される。
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旧玉名干拓施設
・明丑開潮受堤防
・末広開潮受堤防
・末広開東三枚戸樋門
・末広開西三枚戸樋門
・末広開二枚戸樋門
熊本県玉名市横島町末広ほか
所有:玉名市HP
重要文化財
竣工:1893年~1895年
見学自由
撮影:2017/9/25