ゆっくり進むとフェンス越しに煉瓦の構造物が見えた。民家の庭先に坑口が残されているのだ。坑口の周辺は芝が張られ、周りには植栽が施されている。整備された個人の庭である。家人と思われる女性の方に見学をお願いする。快諾をいただいた。
赤煉瓦はオランダ積みされているようだ。坑口は厚いコンクリートで閉ざされている。入口上部には「第三坑」と刻まれた石板が埋め込まれている。民家の道路脇に掲示されている当時の写真(クレジットは「自然と歴史を守る会」)と比較してみると、石板が当時のままであることがわかる。
坑口から背後に延びる坑道部分も赤煉瓦で組み上げられている。坑道は傾斜し、次第に地中へ消えている。地上には5~6mほどが姿を現しているようだ。坑道はどれほどの長さなのだろう。
第三坑口は家人の善意によって大切に守られているようだ。しかも通りすがりの者に敷地内での見学を許していただいた。感謝に堪えない。石炭産業の歴史を物語る遺構であるが、国はもとより佐賀県、唐津市の文化的指定は受けていないようだ。
芳谷炭鉱には第一坑口、第二坑口があった。第三坑口から細い市道を東へ1㎞ほど進むと芳谷炭鉱に関する説明と坑口などの場所を記した掲示板が立っていた(クレジットは「自然と歴史を守る会」)。探そうと試みたが坑口はいずれも藪の中らしく確認することはできなかった。
近接して別にも掲示板があった(クレジットは「自然と歴史を守る会」)。芳谷炭鉱奉安殿と鑛山追悼の碑に関し記述されている。所在地を示す簡易な地図も示されていた。
表示に従い山に入る。蜘蛛の巣を払い、蜂を避け登っていくと奉安殿が現れた。うっそうとした中に突如現れた建物に気後れした。独特の空気が漂っているのだ。ほぼ完全な姿で残されている。
基礎部分は石で壁はコンクリートが用いられていると思われる。正面の壁などには飾り石が埋め込まれ、妻壁には円形の窓が設けられている。屋根はドーマ窓のような半円形の膨らみが設けられている。
奉安殿の竣工年は不明だが、1899年に芳谷小学校が開校していることからその数年後に建てられたらしい。扉は施錠され内部を見ることはできない。管理者の表示はない。芳谷小学校の奉安殿に関する情報を検索したが、その限りにおいて公的情報を見つけることはできなかった。続いて追悼の碑を目指したが、立ちはだかる藪と道順が分からず断念した。
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旧芳谷炭鉱第三坑口跡・奉安殿
佐賀県唐津市北波多岸山
唐津市HP
見学可能(私有地につき家主の了解必要)
奉安殿:見学自由
撮影:2017/9/25