蛤水道(はまぐりすいどう)

蛤水道は三面コンクリートの人工水路で、農業に用いる水が流れる。水路を見ても印象に残る構造美や機能美を有してはいないが、水路誕生が江戸時代であったことを知れば関心がわく。




水路の原型ができたのは1615年から1623年の間で、佐賀藩の成富兵庫茂安が開削したとされる。当時の構造は石積であったとも伝えられている。昭和27年、コンクリート製に改修されたらしい。源流付近にダムのようなため池が造られ取水されていた。



現在、ため池は現認できない。草木が茂り、その間を水が流れている。現在は、ため池とされる場所の上流、隣り合う源流2か所から取水されているようだ。




ため池の堤塘と思われる場所に記念碑が立つ。側には木製の橋が架かる。橋の下には沢が流れている。この沢は大野川へ至り、那珂川へ流れる。



国土地理院の地図を見るとため池が存在するのは標高730m付近で、水路は斜面に設けられている。水路には野越しと呼ばれる幅2~3m程度の溝が切られている。野越しは建設当時にはなく、施工後福岡県側に水不足が生じたことから設けられたようだ。




野越しの底板は、水路の底板から50cmほどの高さで、水量が多い場合はこの溝から福岡県側へ流れていく仕組みだ。ため池側の記念碑から蛤岳への東側登山口付近までの間で、4つの野越しを確認した。
野越しのコンクリート部分の先には直径50cmを超える大ぶりの石が敷かれていた。



野越には大雨など際に水の勢いを弱め、水路設備の損壊を最小限にとどめる役割があったともされる。




脊振山系は雨水を玄界灘と有明海へ分ける分水嶺でもある。吉野ヶ里町の北部に位置する蛤岳は標高862mで、北東斜面に降る雨は佐賀県に属しながら福岡県側に流れている。
農業用水路の開削は、佐賀平野の農業振興に不可欠な水を得る果敢な挑戦だったのかもしれない。


蛤水道(はまぐりすいどう)
神埼郡吉野ヶ里町松隈
管理者:吉野ヶ里町
現役農業用水路
九州農政局HP
原型の竣工:1615年~1623年の間
原型の設計・施工:成富兵庫
見学可・車でのアクセス不可
撮影:2015/11/1