大分県中津江村と福岡県矢部村は標高700mほどの竹原峠トンネルでつながる。鯛生金山は中津江側に主な施設があった。現在も周辺には民家が点在する。
鯛生金山は1972年に閉山、1983年には地底博物館が開館した。坑道には使用された機械類が展示され、当時の様子を窺い知ることができる。説明資料からも詳しい概要を知ることができる。
坑道内部は坂道などもあるが、比較的平坦なルートである。説明ポイントでは音声と文字による説明が行われている。当時の作業状況を再現した場面にはマネキン人形が活躍中だ。
見学コースの途中に竪抗を覗ける場所がある。510mの深さである。掘削に赴く人々はゲージに乗って降りて行ったのだろう。
見学コースに人影は見ない。併設されている道の駅には多くの人々がいたが、見学をする人は少ないようだ。坑道内は自然の力で年中14℃に保たれているらしい。夏場にはありがたく感じる見学施設なのかもしれない。
見学コースの途中、鉄格子により規制された坑道がある。説明書きによれば、後述する矢部側の坑道入口につながっているようだ。
賑やかなエリアを外れた第4駐車場の斜面上にコンクリートの遺構や石積がある。資料館の説明資料によれば、迎賓館を兼ねた金山倶楽部が建っていたようだ。
特に立ち入りを規制する表示もないが、大木と草木が茂る中に隠れていた。資料館の写真によれば、しゃれた建物が建っていたようだ。
地底博物館入口手前左に、一部が藪に覆われた構造物が残る。立入禁止の札がロープに下げられている。特に説明はない。
地底博物館の駐車場向かいには製錬所が残る。当時の機械が展示されている。斜面を利用した施設は製錬作業に適していたのかもしれない。
中津江とは対照的に矢部側には金山の繁栄を語るものが見当たらない。観光資源としての活用もないようだが、坑道入口を間近で見ることができる場所がある。
入口は鉄格子で閉ざされ施錠、傍らには電力メーターが設置されている。ネット情報では酒蔵が貯蔵庫として活用しているようだ。坑道入口周辺は石積で守られている。
矢部は金山の繁栄を過去に流し、深い緑の里に戻ったのかもしれない。
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鯛生金山
大分県日田市中津江村合瀬3750
0973(56)5316 HP
開山:1898年
閉山:1972年
地底博物館:1030円
営業:9:00~17:00
撮影:2015/11/23