第二次世界対戦の頃、海と接する長崎県には軍事施設が多数配置されていたようだ。大村湾と面する川棚町にも軍事施設が設けられた。70年を経過した今でも遺構に会うことができる。
国道205号三越交差点から三越郷方面へ折れ、道なりに進むと片島に至る。数台が利用可能な駐車場が用意されている。
歩いて間もなく島の西側に出る。目に飛び込むのは倉庫のような廃墟だ。魚型水雷発射試験場の中心となる建物だ。1階部分が石積みで、2階部分が煉瓦造りと想像される。町教育委員会の案内板には内部への立ち入りを禁止する旨が書かれているが、物理的規制はなく内部に立ち入ることができる。ただし、危険である。立ち入りは自己責任となる。
内部は2つに区分されている。手前海側が広い。床には白いタイルが敷き詰められている。「本部」と呼ばれている建物で、魚雷や諸機材の保管に利用されていたようだ。床の一部にはコンクリートの構造物が残り、機械などが据え付けられていたのかもしれない。屋根は一切ない。壁に刻まれた窪みだけが、屋根を支えていた巨大な梁を勝手に想像させる。
本部建物の周辺には多数のコンクリート遺構が残る。南側にはプールのようなコンクリート遺構とプレハブ倉庫規模の石積みの建物跡がある。
本部棟の海側妻壁正面には立ち入りを規制された桟橋が延びている。5つのアーチが波の面で揺れていた。
荒れた桟橋の表面には窪みが見てとれる。魚雷を運び出すレールのようなものが敷かれていたらしい。本部棟から現れた魚雷は桟橋を通り発射地点まで運ばれたのだろう。桟橋の先には塔のような構造物が立つ。魚雷が発射された場所のようだ。塔は赤い煉瓦が積み上げられ、コンクリートで覆われていたようだ。すでにコンクリートの一部は崩落し、危険な状態だ。
本部棟から島の岸に沿ってコンクリートの道を南へ進むと、沖に建物らしき構造物が見えてくる。2階建てと思われる建物だが、どのような役割の建物か不明である。近づくことはできない。海が隔てている。建設当時は橋で繋がれていたのかもしれない。
片島は標高53mで、頂上まで登ることが可能だ。5分ほど歩けば構造物が見えてくる。
窓は朽ち果て、自由に立ち入ることができる。海に大きく解放された2階部の窓が特徴だ。内部に立ち入ると、多くの落書きが目に入る。残念でならない。
置かれた脚立を上ると大村湾が一望できる。発射された魚雷の動きを監視したのだろう。放置された建物はコンクリート造りに見えるが、剥がれた壁からは煉瓦積みが見える。桟橋の先に立つ発射塔とは異なり灰色の煉瓦積みが基本構造と思われる。
本部棟の側に説明板が立っている。片島はその名のとおり島だった。第二次世界大戦が勃発し1942年に川棚に軍事施設が設置されたことにより魚雷施設が拡張、陸続きとなった。
駐車場から歩いていく際、左側にトンネルのような入口が見える。イギリス積みされた煉瓦造りのアーチ型だ。私有地に属するようで、立ち入ることはできない。川棚町「わがまちのお宝」によれば、片島を南北に貫くトンネルが掘られていたとのこと。この煉瓦積みの構築物が該当するトンネル入り口か否かは不明だが、片島全体が魚雷の発射試験場として重要な役割を担っていたことは確かなようだ。
昨年7月に訪れた際は草が茂り、容易に近づくことはできなかった。草の勢いがまだ弱い春前であれば、遺構の様子がわかりやすいようだ。
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片島魚雷発射試験場跡
長崎県東彼杵郡川棚町三越郷片島
川棚町企画財政課PDF
戦争遺構
見学可能
撮影:2016/3/20