九州鉄道茶屋町橋梁・尾倉橋梁

北九州市八幡東区茶屋町を流れる槻田川に煉瓦造りの構造物がある。門司と黒崎をつないでいた九州鉄道大蔵線の鉄道橋梁である。
袂に設置されている北九州市教育委員会の掲示によれば、大蔵線は明治24年(1891年)4月に開通した。しかし、20年後の明治44年(1911年)9月には廃線となる。100年以上前に消えてしまった鉄道路線の遺構である。



赤煉瓦は経年により黒っぽい色に変化したり、表面が欠けていたりする。橋梁は南側と北側で表情が異なる。
南面はイギリス積された煉瓦が整然と並び、アーチ部分は煉瓦が5層に積まれている。アーチを支える基礎の部分には土台から花崗岩が交互に積み上げられている。一方北面はアーチ部分とその周辺、基礎部分に凹凸がある。アーチを支える基礎部分には花崗岩が1段はめ込まれているだけで、土台部分からは煉瓦が積み上げられている。




茶屋町橋梁から西へ5㎞ほどの場所に尾倉市民センターがある。センターから北に向かう道の先に高さ制限の表示がある。表示の背後にあるが九州鉄道大蔵線の尾倉橋梁だ。
南側は5層巻きのアーチ部分とイギリス積された躯体で構成されている。アーチは組み込まれた花崗岩で支えられている。橋梁の片側には煉瓦積みを活かした倉庫が設けられている。




北側の表面はアーチ部分とその周辺に凹凸がある。茶屋町橋梁と同様の意匠だ。表面は多くが植物に覆われ、建物の陰に隠れている。




尾倉橋梁の上部には車も走る一般道が通る。家も建っている。生活に溶け込んでいる。



茶屋町橋梁、尾倉橋梁と同様の意匠は赤村の内田三連橋梁にも見られる。後に複線化等を予定した構造上の都合だったのかもしれない。


九州鉄道茶屋町橋梁・尾倉橋梁
北九州市八幡東区茶屋町四丁目、尾倉一丁目
茶屋町橋梁は史跡として保存
尾倉橋梁は一般道として利用
撮影:2016/5/4