嘉瀬川が佐賀市大和町にさしかかるあたり、大型ショッピングセンターの周りに広がる住宅地と隣接した場所に水利施設がある。佐賀市街区へ続く多布瀬川へ水を引くために設けられた石井樋(いしいび)だ。
江戸初期(1645年)、佐賀藩の武士成富兵庫茂安が構築に着手したとされる。約350年以上も前に作られた石井樋は昭和35年頃一旦はその役割を終えたが平成17年に復元され、構築当初の機能が現代によみがえった。
注目される機能は、嘉瀬川から多布瀬川へ導水する仕組みにある。堰で水を止め、湾曲した流れへ水を導く。水は逆流し速度を落とす。流水速度の減によって水に混ざっていた小石や砂は自然沈殿、きれいになった水だけが多布瀬川へ流れ込むのである。
湾曲した流れを作るために設置された構造物が象の鼻、天狗の鼻といわれる導水施設である。国土地理院のGSIマップでもその形状を確認できる。
多布施川は佐賀城(現在は県庁)の堀へ行きつく。町には住居や城があっため、多布施川に流れ込む流量は定量であることが望ましいことから、流量を調整する仕組みが存在した。
一連の施設群には、増水時対策として野越や貯水池なども設けられていたようだ。多布瀬川へ導水するだけではなく、嘉瀬川の洪水対策も見すえ石井樋施設群は整備されていた。
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石井樋施設群
佐賀県佐賀市大和町 嘉瀬川右岸14㎞付近
見学自由
無料駐車場あり
撮影:2021/2/27