栴檀橋

佐賀市神野公園の東に多布施川が流れる。佐賀市大和町に構築された石井樋で嘉瀬川から水が分けられ、多布施川に導かれる。春の候には桜が岸辺を飾る。



多布施川が神野公園の南東に差し掛かるあたり、神野公園通りと多布施川通りの交差点の北に橋が架かる。車両の通過は規制されているが、自転車や人の通行は許されている。意識しなければ老朽化した橋としか見えないし、そこに橋が架かっていることさえ視界にとどまらないだろう。



橋は大正13年7月竣工で、基本部分は石の柱のみで組まれている。九州地域づくり協会ホームページによれば、日本最大級の石桁橋といわれているようだ。

橋の下に目を移すと、5つの橋脚部が支えていることに気付く。それぞれの橋脚部は4本で構成され、合計20本の石の柱が橋を支えている。石の柱は四角柱で、川の流れに逆らわず上流に角を向けて配置されている。欄干や通行面は至って実用的なデザインだ。
親柱には橋の名前と竣工年月日が刻まれている。東側左の親柱には漢字で、西側左の親柱には平仮名で橋の名が刻まれている。



眺めていると、用いられている石の生産地だとか性質、設計者や施工者だとかに関心と興味は向かう。しかし、橋についての詳しい説明は見当たらず、唯一車両通行禁止の看板に竣工年が記されているのみである。



橋の意匠に派手さはない。単に石の柱が並ぶ幾何学的な機能美だけが橋の個性を語る。
すでに車の通行の用に供されていないことから、橋の行く末が気掛かりだ。


栴檀橋(せんだんばし)
佐賀市神園(神野公園南東入口)
九州地域づくり協会HP
管理:佐賀市
見学自由
撮影:2017/1/30

旧三菱合資会社唐津支店本館

近代化遺産全国一斉公開に合わせて、11月19日・20日特別公開が行われた。知ったのは地方紙の記事だった。
2年ぶりに訪れた門扉に休館中の札はなく、玄関の扉は開け放たれている。植栽には手が入り、整備された庭を散策することもできる。




改めてみる建物の外観は経年劣化が進み、塗装が剥離するなどが見られる。建設当時の色合いはわからないが、退色しているように感じられる。
建物は総2階建てで、北側は1階2階ともベランダが設けられている。東側の北半分にもベランダが設けられている。間近で見ると壮観だ。




玄関に入る。スリッパへ履き替える。床は1階2階とも板張り(資料によれば縁甲板張)である。1階には4つの部屋があり、3部屋が解放されている。




それぞれに資料やパネルが展示され、建物の歴史、東松浦地域の炭鉱産業の歴史などが詳しく説明されている。石炭を取り扱う事業者の事務所として建設されたことから、意匠に拘りが表現された部分は少ない。実用的な造りだ。しかし、観察を深めると、デザインされた格天井やドアノブ、壁のランプなどに目が向かう。





階段は透かし彫りが施され、親柱の彫刻は目を引きつける。設計者の拘りが少しばかり窺われる。




2階南東側の部屋からは賑わう町と海を眺めることができる。窓は上下に動かし開閉する方式で、今ではあまり見ることがない。
北東側の部屋には赤い絨毯が敷き詰められている。建設当時は主任室という名称がついていたようだ。当時は部屋から海を一望できたのであろう。これら2つの部屋の間に褐色の家具が作り付けられている。窓がある不思議な形状だ。どのような意図でこのような意匠になったのだろうか。





2階には他に2室あり、生活資料などが保存されている。

西側に煉瓦造りの建物がある。展示資料の写真には本館とともに写っている。倉庫らしい。



煉瓦は美しい色を維持している。どのようなものを保管したのだろうか。


旧三菱合資会社唐津支店本館
唐津市海岸通7181番地 HP
唐津市生涯学習文化財課 0955(72)9171
佐賀県重要文化財
竣工:1908/9(掲示による)
特別公開による見学(通常は見学・敷地内立入り不可)
撮影:2016/11/20

南禅寺水路閣

曜日を問わず観光客が押し寄せる京都。府立図書館や市立美術館が建つ場所から仁王門通を東へ進むと南禅寺に至る。
三門、本堂と歩みを進める。秋の始まりの頃、紅葉にはまだまだ早い。やや褪せた緑を眺めながら帰り道に足を沿わせていくと、緑の揺らめきの先に煉瓦造りの構造物が目に留まった。思いもよらぬ出会いに引き付けられるように駆け寄ると、美しい造形を連ねる水路橋が現れた。



構造物は南禅寺水路閣だ。1890年に竣工していることから、すでに100年以上が経過している。水路閣の上部に進んでみると、水が流れている。現役の水路橋だ。
橋脚と橋脚の間は柔らかいアーチでつながり、橋脚にも縦長のアーチデザインが取り入れられている。連続する縦長アーチの重なりは不思議な造形感と魅力を与える。
折しも和服姿の女性が歩いていた。外国人旅行者の被写体をお願いされていた。



あらかじめの知識と情報を持たずして訪れたため、目に映る水路閣の姿だけを追ってしまった。自宅に戻り調べ始めると琵琶湖疎水という明治時代の導水事業の一部が南禅寺水路閣であることが分かった。近辺には疎水事業に関する施設や建物が存在しているようである。




水路閣の傍らに立てられた説明板には、田辺朔郎工学博士により1885年に起工され1890年に竣工したこと、日本人のみで設計・施工されたことが記されている。



明治における土木技術の高さに驚くばかりである。再び京都を訪れる機会があれば、関連施設へもぜひアプローチしたい。


南禅寺水路閣
京都市左京区南禅寺福地町
京都観光ナビ HP
国指定史跡
設計:田辺朔郎工学博士
竣工:1890
撮影:2016/10/18

官営八幡製鐵所 遠賀川水源地ポンプ室

一級河川遠賀川の河口から10kmほど上流右岸に煉瓦造りの古い建物が建つ。堤防に設けられた県道73号をなんとなくドライブしてれば見落とすかもしれない。周辺に駐車場はない。中間市役所西側河川敷を利用することになる。徒歩10分ほどでアクセス可能だ。




県道側から建物の妻壁を眺めることができる。見るからに古い建物だ。イギリス積みされた煉瓦は赤色であったり乳白色であったり黒っぽかったりする。ボランティアガイドの説明によると、竣工したころは赤い煉瓦だったらしい。第2次世界大戦の頃黒い色に塗られたが、戦後乳白色に塗り替えられた。その後風雨などによって乳白色が剥がれたりして元の色が現れているのだそうだ。

関心を寄せなければ今にも壊れそうな倉庫に見える。既に100年を経過しているのだから当然であろう。しかし、屋内では現在もポンプが稼働している。一日約12万トンを送水している現役の施設なのだ。八幡製鉄所で鐵鋼生産に必要とされる水の7割を送水している。当初はエンジンポンプが設置されていた。イギリス・デビー社製であった。1950年には電動化されている。




施設の敷地はフェンスで守られているため立ち入ることはできないが、徒歩で周囲を一周することができる。建物の北面はアーチ状の窓が連続する。アーチは煉瓦で描かれ建物を印象付けている。建物の北側には池が見える。遠賀川を堰き止められて導水された水を取水する施設があるようだ。




東側の妻壁は西側と同様の意匠である。敷地の門は東側にあり、建物への入口も東側に設けられているようだ。屋根は改修されているが、壁や扉、窓などは竣工当時の姿を残そうとする気配りが伝わる。
南面は東半分が壁で西半分が連続する縦長のアーチ窓で構成されている。壁の部分は単に壁ではなく、縦長アーチ窓を煉瓦で埋めたような造形だ。




堤防道路から遠賀川を見ると薄緑色の構造物が川中に見える。取水するための堰である。間近上流に新たな堰が構築されている。やがて交代の時期が来るらしい。




ボランティアガイドの方が数名いらした。一人でお邪魔したにもかかわらず丁寧に説明をしていただいた。パンフレットには記されていないことも話していただいた。感謝だ。


官営八幡製鐵所 遠賀川水源地ポンプ室
中間市土手ノ内一丁目3-1
中間市世界遺産推進室 093(245)4665 HP
竣工:1910年
ポンプ室建屋設計:舟橋喜一(中間市パンフレット)
送水システム設計:中島鋭治(中間市パンフレット)
八幡製鐵所関連資産
現水源地ポンプ室
敷地内立入禁止
撮影:2016/5/4